あかね台.net | 子ノ神社
子ノ神社

住所神奈川県横浜市青葉区たちばな台2-22-1
御由緒 祭神は大国主命、木花之開耶姫命の二柱である。ご神体は鏡であったが、明治中期盗難にあり、その後は木製の境型となった。神社の創設の由緒、時代は共に不詳である。新編武蔵風土記稿には、子ノ陣亜[見捨地二段計]村の鎮守なり、浅間神社より谷を隔てて西にあり。社は一丈に一丈五尺、東に向ふ。社前に鳥居を立つ。之も村民の持なり。と記されているのみである。境内地は明治六年地租改正の折、官有地第一種として召上げられた。

明治三十九年八月勅令第二二〇号による一村一社を基準とする方針の強制に屈し明治四十一年三月四日、無格社浅間神社と当社に合祠した。尚境内には神武天皇の小祠と他に一祠があったがいつか潰滅してしまった。

神社合併の方針は更に強化され、翌四十二年ごろ、当社を上谷本(現みたけ台)の杉山神社に合併する案もあったが、氏子の猛反対にあい取止めとなった。然しこの時に神楽殿まで持去られることを恐れて、これを他の場所に移転改造し部落の集会所とし、昭和四十三年区画整理のため取潰すまで使用した。

昭和二十三年三月、先に官有地として召上げられた境内地は氏子総代三名の連署を以て無償譲与申請し認可された。

境内に安置される、庚申堂、地神塔、弁財天などは部落内に散在していたものを区画整理の結果移設したものである。参道の階段は昭和四十九年区画整理事業完了記念として篤志家より寄進されたものである。

神殿の改築は昭和五十年部落民の共有地、たちばな台一丁目十一番地七外二筆の土地を売却した代金を以て改築した。

総工費 壱千四百六十九万七千円
起 工 昭和五十一年四月十五日
竣 工 昭和五十二年四月十七日
施工者 川崎市多摩区王禅寺 斉藤義治
昭和五十二年四月吉日建立 宮司文雄 謹書
御祭神   大国主命 木花之開耶姫命
メモ   戸倉英太郎先生の「杉山神社考」に、たちばな台の杉山神社の記述があるが、現在、たちばな台に杉山神社は存在しない。また、たちばな台に存在する神社は、この子ノ神社一社だけである。境内にある昭和五十二年に建立された碑によれば、明治時代にみたけ台の杉山神社と合祀の話があったと記されている。碑によれば合祀は取り止めとなったとあるが、たちばな台にあったとされる杉山神社と合祀されたという可能性も無ではない。ちなみに戸倉先生の杉山神社現況一覧表(昭和53年5月1日調査)によれば、「村社であり、御祭神は五十猛命、素盞雄命、大日霊女貴命、豊受姫命、大己貴命、保食命、住所はたちばな台78、東急田園都市線藤が丘徒歩18分」とある。


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