メモ |
御由緒などは明らかではないが、川崎市の電子資料室に下記の記述が残されている。これによると神明社、第六天社、杉山社が合祀されて井田神社となり、その後遷宮されたこととなる。
伊勢山の地名のもと。明治42年以下三社と合祠され井田神社となり、中ノ町の神明社の地に移り、元地には現在は何もない。
神明社(井田中ノ町375) 「村の中央にあり、社二間は二間半南向なり、前に木の鳥居をたつ、村内四社の一なり、村持」と記される。
明治42年村内四社の合祠が行われ、この神明社の社地に井田神社がおこされた。
第六天社(跡地・井田758番地) 「村の中字菩提木にあり、これも四社の一なり、社九尺四方東向なり、前に木の鳥居をたつ、古は社頭に菩提樹の大木ありしが今は枯て圍三丈ばかりの株のこれり、其めぐりに芽生せり故にての地の字をも菩提樹とよべり」とある。 明治42年井田神社に合祠され、今はない。
杉山社(跡地・井田杉山町560番地周辺) 「村の北の方にあり、この社あるを以、名をも杉山と呼ぶ。これも村内四社とて村民尊敬するその一なり、二間に三間の社にして南向なり、前に木の鳥居を立、村持」とある。
明治42年井田神社は合祠され現在はない。
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