あかね台.net | 子神社 (堀ノ内)
子神社

住所神奈川県横浜市南区堀ノ内町2-134
御由緒 当神社と近傍の三殿台住居址とは山続きであり、又、磯子寄りの腰越には中期か後期らしき古墳横穴が発見されてる。又、日の出町は推古帝の御世 (五五四〜六二八) に、野毛町は白鳳時代 (五五二〜六四五) に、子之神社の子之神の歴史が残されている。この頃に堀ノ内町の場合でも小規模のものはあったのではあるまいか。ここに低地水田の開発の指導者であった族長の霊を山上の古墳に祀り、そこを一族の発展や収穫の祈願など呪祭を行う場とした。人々は水を汲む処を中心に集まり (その人々を井の子という) 、生活し、井の子は井の辺または上に住居を営み、家となり、家に住む血族が家の子になる。家の子の神が子の神である。やがて大和朝廷の影響下に入ると祭神も関係ある神々、大国主命等に改められた。

例祭日は九月八日、九日で、いつの頃からか宝生寺が明治維新まで別当で、例祭には鎌倉郡舞岡八幡宮宮司が務めた。

明治十六年に村社に列せられ、明治四十二年九月十五日、字清水谷鎮座の稲荷神を合祀した。昭和二十年四月十五日、戦災により全焼したが、昭和二十八年より再建にあたり、昭和二十九年八月二十四日、完了して今日に至る。


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