住所 | 神奈川県横浜市南区堀ノ内町2-134 |
御由緒 |
当神社と近傍の三殿台住居址とは山続きであり、又、磯子寄りの腰越には中期か後期らしき古墳横穴が発見されてる。又、日の出町は推古帝の御世 (五五四〜六二八) に、野毛町は白鳳時代 (五五二〜六四五) に、子之神社の子之神の歴史が残されている。この頃に堀ノ内町の場合でも小規模のものはあったのではあるまいか。ここに低地水田の開発の指導者であった族長の霊を山上の古墳に祀り、そこを一族の発展や収穫の祈願など呪祭を行う場とした。人々は水を汲む処を中心に集まり (その人々を井の子という) 、生活し、井の子は井の辺または上に住居を営み、家となり、家に住む血族が家の子になる。家の子の神が子の神である。やがて大和朝廷の影響下に入ると祭神も関係ある神々、大国主命等に改められた。 |






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